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社会から追放された人間が陥る思考回路 ~破滅への道のり~

神奈川県川崎で凄惨な殺傷事件が起こってしまったようです。

 

今朝、ネットのニュースを見て驚きました。秋葉原連続殺人事件並みの被害で、被害に遭われた方の無念さは計り知れないものだと思います。

 

私は犯罪の加害者側として裁かれてきた人間ということもあり、こういうニュースを見ると加害者となった人間のことを考えてしまいます。加害者の味方になるという意味ではなく、加害者になった本人がどんな心境だったのかと考えるのです。

 

犯罪関係の報道がなされた時、ネットニュースに対する世間の反応は毎回同じようなもので、徹底的に加害者を糾弾し、非難する言葉が飛び交います。

 

私が逮捕された時のニュースでも同じようなコメントを沢山見ましたし、わざわざまとめサイトを作って、加納顕史郎という犯罪者について考察するという活動をしている人間もいました。

 

ネットでそのように騒ぐ人たちは、赤の他人である犯罪者がその後どうなろうと知ったことではありません。むしろ、社会的に再起出来ないことを望むかのごとく徹底的に叩くのが好きとでも言うのでしょうか。

 

 

事件の大小に関わらず、犯罪の加害者として実名報道された人間は、生涯社会から追放されたような感覚に陥ります。

 

私が自分の事件がどのようにニュースになっているか知ったのは、保釈が認められて留置場を出た後、つまり逮捕から3週間後のことでした。

 

テレビ、新聞、ネット。あらゆるメディアで実名報道され、中には実家の住所まで公開しているようなメディアまでありました。おかげで関係ない家族にまでとても辛い思いをさせてしまいました。

 

事件の背景については色々あるし、正直被害者からも勘違いされていると思った部分もあるのですが、そんなことは関係なく表面的な事実だけを大々的に報じられ、それはもう日本中が自分の敵になったかのような感覚でした。

 

報道により素顔で表へ出ることすら怖くなるような貶め方をされて引きこもりがちになったし、実家を出て新しい地域へ移住し、人生をやり直そうと思っている矢先、先日の記事で申し上げたような陰湿な嫌がらせをしてきて再び社会的に潰そうとしてくる人間も出てきました。

 

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犯罪の加害者になったことを理由に、社会がこういうことをし続ければ、加害者本人は社会から追放され、この世に居場所が無くなったと感じるのも無理はありません。

 

私は奇跡的に地域の方々の優しさに救われましたが、それがなければ再び居場所を失い、路頭に迷っていた可能性だって大いにあるのです。

 

過ちを反省し、罪を償い、更生して社会復帰しようと努力している人を、その事件に無関係の人間が潰している現状があるのは事実だと思います。

 

そうして本人が再びメンタルを潰され、追い込まれた結果、破滅的な結末を生んでしまうことは起こりうると思います。

その反応は人それぞれでしょう。自殺してしまう人もいれば、生きるために盗みなど再び犯罪に手を染める人、今回の事件のように他人を殺して回るような凶行に走る人・・・。

 

 

以前、このブログを読んでメッセージをくれた人がいました。その人は冤罪で逮捕され、結果的に不起訴になったものの逮捕時に実名報道されたことにより犯罪者扱いされて会社を追われ、再就職も上手く行かず、とうとう自殺まで考えるようになってしまったと語っていました。

 

無実ゆえに不起訴で終わったにもかかわらず逮捕後の人生は暗転し、その結果社会から追放されたような心境になり、普通に暮らしている人間を見ると卑屈な気持ちになってしまったそうです。

有罪判決の有無はあれど似たような経験をしていた私は、彼の話を聞いて気持ちがとてもよく分かりました。

 

 

そういう卑屈な気持ちが芽生えると、自分の境遇を嘆くあまり世の中を恨むようになってしまい、幸せそうな人間を見ただけで殺意まで芽生えてしまうというところまで発展してしまう人が出てくることは、可能性としては十分にあることだと思います。

 

私は、今の現実を自分自身が引き寄せたものだと言い聞かせ続け、なんとかこの現実と向き合って受け入れることが出来るようになりました。

しかし逮捕されてから有罪判決が下されるまで、終始理不尽な裁かれ方をしたと感じている私がもし自分をコントロールできない人間だったら、きっと世の中や会社を恨み、凶行を企ててしまったことでしょう。

 

鉄道車両の動かし方を知っている人間がそういうことを考えたら非常に危険です。車両の鍵の開け方から、保安装置の電源の切り方、車両の動かし方まで知っているのです。その気になったら、一人の人間の力だけで福知山線脱線事故を超える大惨事を意図的に引き起こしてしまうことは十分に可能です。

 

平和な日本では今までテロと呼ばれるような大惨事が起こったことはありませんが、海外では飛行機のパイロットが自爆テロを行うなど、その道のプロフェッショナルが凶行に走ったゆえに起こってしまった大惨事も数多く存在します。

 

飛行機のパイロットや鉄道運転士だけでなく、大型バスやトラックの運転士、船舶、危険物を扱う仕事等々・・・挙げればキリがありません。

 

仮にそのようなプロフェッショナルな技術を持った人間による凶行が行われた時、その被害の大きさは計り知れません。

 

 

どんな事件であっても、報道されればきっと世間はニュースを見てやった本人を非難し続けるでしょう。

 

 

しかし、そういう凶行を起こした人間は最初からそんなことを企てるような人格だったのでしょうか?

 

 

私のケースにそれを当てはめてみればどうでしょう。

 

幼い頃から夢だった憧れの仕事に就き、目を輝かせて入社。

 

その結果、過酷な労働環境に置かれて数年で体を壊し、上司からは理不尽な物言いをされて無念の退職。

 

退職後の事件を起こした背景には、自分で信じたくありませんが社員時代の数々の不遇が、判断を鈍らせていた原因の一つなのかもしれません。

 

そしてその結果起こした事件では、見せしめという理由で厳罰を希望され、司法でも重罪、社会からは実名報道され、犯罪者と騒がれて世の中から追放される。

 

更生してやり直そうとしている矢先に、再び社会的に潰そうと第三者から攻撃を仕掛けられる。

 

このような境遇を歩んだ結果、この人間が人を殺すような凶行に走ったとして、このブログの読者さんはその原因が本人だけにあったと言い切れるでしょうか?

 

自分でこういう話をするのは無責任だとか反省していないと思われるでしょうが、あえて言います。

 

過ちを犯した人間を潰そうとする世の中の風潮が、火に油を注ぐ形で本人の負のエネルギーを強大にしていることは間違いありません。

 

この現実を受け入れられず、精神的苦痛に堪えるのが限界に達した時、その人間が溜め続けた負のエネルギーが爆発してしまうのだと思います。

 

私は会社を辞めた後、自営業で生きるために経営の勉強を始めました。

その時に読んだ本で、どんな悲惨な結果であっても全ての原因は自分にあると考えなければ、商売も人生も絶対に上手く行かないということを学びました。

 

逮捕される前の段階でその本質的な考え方が身に付いていたことと、更生を妨げられた時に支えてくれた人たちが居てくれたことによって、私はこの境遇に潰されることなく、今でもやり直すことを考えていられるのだと思います。

 

もしこの考え方を持っていなかったり、今住んでいる場所に味方になってくれる人が居なかったら、果たして自分はどんな破滅の方向へ向かっていったのかと考えると、自分自身のことながら恐ろしく感じます。

 

きっと凶行に走ってしまう人間というのは、この負のエネルギ-に支配されて自分自身をコントロールできなくなってしまうのかもしれません。

 

 

川崎の事件のネットニュースを漠然と眺めていると、他と違う記事が目に留まりました。

 

 

この記事には、私が考えていることと同じことが書かれています。

 

これを書かれた方は、きっと人の痛みを知っているからこそこういう記事が書けるのでしょう。

もし世の中がこういう考え方の人ばかりだったら、きっと私の更生の道もずっと明るいものだっただろうし、精神的なトラウマを抱えることなく、既にどこかで働き始めることが出来たのではないかとさえ思います。

 

加害者に都合のいい話ばかりしているように思われたかもしれません。不快でしたら謝罪いたします。

 

ですが犯罪の加害者であっても、感情を持った一人の人間です。

こちら側の立場を経験した人間は、こういう気持ちになるのも無理はないということを、身の綺麗な皆様にも分かってもらえたら幸いと思い、今日の記事を書きました。

 

過ちを犯した人間にどう向き合うのか。それは世の中だけでなく、会社でも同じことだと思います。

 

仕事で失敗した人間に厳罰を与えるのかリベンジのチャンスを与えるのか?・・・環境の違いだけで、同じ人間を腐らせることも輝かせることも出来るということだと思います。

 

あなたの勤めている会社ではどうでしょうか。

 

 

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社会から追放された人間が陥る思考回路 ~破滅への道のり~」に6件のコメントがあります

  1. 過ちを犯した人間を潰そうとする世の中の風潮が、火に油を注ぐ形で本人の負のエネルギーを強大にしていることは間違いありません。

    まさにその通りです。人間多少のミスをするものですが、それを徹底的に責める人間や環境もあります。しかも、自分のことは棚にあげるのが上手いです。

    犯人は間違いなくおかしいですが、それまでにたどりついてしまった周りのプロセスも決して無視できません。

    1. >西日本さん

      いつもコメントをありがとうございます。

      身を置く環境の大切さは、身をもって体感して参りました。環境という大きな流れの中で、その流れに一個人が逆らうのは不可能に近いです。

      本人が境遇の原因を自分自身に見いだせること。
      そして自分が報われる環境に身を置くこと。

      この2つの条件が満たされるだけで、犯罪者になる人は激減するのではないかと感じます。

      しかし、それは理想論だということも分かっています。

      事件を様々なメディアで騒がれて袋叩きにされる現代では、過ちを犯したらどこに住んでいても報われることなんか無いと考えてしまう人間が大半だと思います。

      そうして追い込まれた人間が凶行に走り、無実の人間を傷付けてしまったり、その犯人が自殺や死刑によって命を絶つことになるのは、決して望ましい状況ではないですよね。

      自分がこういう立場だからか、犯罪者を世の中から抹殺するのではなく、犯罪者が生まれるプロセスを改善するのが、本当に必要なことなのではないかと考えてしまいます。

  2. こちらこそいつもコメント返信を頂きありがとうございます。

    本人が境遇の原因を自分自身に見いだせること。
    そして自分が報われる環境に身を置くこと。

    この2つの条件が満たされるだけで、犯罪者になる人は激減するのではないかと感じます。

    しかし、それは理想論だということも分かっています。

    たしかに理想ですし、じゃあ自分たちで社会を変えていこうと、NPOでも立ち上げようと思ってもそれはスケールが大きすぎます。
    しかし、個人レベルではまさにこの2つが要になると最近特におもいます。1つめは意識を常に持つこと、2つめは環境を見極めることが大事ですね。

    1. >西日本さん

      共感して下さりありがとうございます。

      おっしゃる通り、世の中の流れを自分たちで変えていくのは難しいと思いますし、そんな活動をしたところで自分が報われることはないのも分かります。

      現在の日本という場所で暗い過去を持った人間が生きていくには、自分自身の行動や考え方を変えていくしかないのかもしれません。このブログを始めたのも、そう考えるようになったのがきっかけでした。

  3. 犯罪者の心理にフォーカスすることは現状の刑事裁判でどの程度実現されているのでしょうか? 刑事訴訟法第1条には、「この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現することを目的とする。」と書かれています。
    事件の真相を明らかにしつつ、犯人を正しく処罰し、市民が安全に生活できる社会を作る事が法律の目的のようですがそれだけでしょうか?
    一番大切な事は上の二つの事が「基本的人権の保障」を前提に行わなければならない事です。ここで言う基本的人権の保障とは「冤罪を生まない」という事ですが、それだけでは余りに限定的だと思います。冤罪という極めて深刻な人権侵害への配慮は、主体が国家であるが故に法律に明記されてますが、ネットをはじめとする私人が主体となった人権侵害には何の法的拘束力もありません。「死ね」などの個人を攻撃する言葉が普通に飛び交う社会がいかに異常な社会であるか、今一度考えないといけませんね。
    犯罪という分かりやすい悪だから攻撃の対象になっているだけで、厳密に「悪」を分析したら、人を虐める、嘘をつく、不倫をする、裏切る、人を傷つける、口喧嘩で相手の一番痛いところを狙う等、数え切れないほどの「悪」がこの世に存在する事に気付くはずです。社会がもう少し賢くなって「悪の分析」を正確に行うようになると、その数の膨大さの前で人々は攻撃する事を止めるでしょう。そして刑事事件においては、被疑者を攻撃することよりも、事件の動機や背景を共有する事が重要であるという認識が広まっていく事でしょう。そういう社会になれば、「社会は自分を理解しようとしている」「社会は守ってくれる」という認識を人々が持ち始め、今回のような凄惨な事件を食い止められる可能性が少しでも高まるのかな、と思いました。

    1. >RT30さん

      ご丁寧なコメントをありがとうございます。
      ご自身がお辛い経験をされてきただけに、とてもお詳しいのですね。
      おっしゃる通り、ニュースのような表面的な情報だけをもとに、容疑者本人を徹底的に罵って潰す風潮は異常だとは思います。しかし自分が安全な場所にいると他人を陥れたくなるのは、何百年も昔から変わらない人間の本能的な習性なのかもしれません。

      昔は庶民同士を闘技場で殺し合いさせて、それを上流の人間が観客席から飲食しながら見物するという時代もあったようですね。それが現代になって、犯罪者のレッテルが貼られた人間が出てくると、パソコンを前にマグカップ片手に、ネット上で潰して高みの見物をするという形に変わっただけだと思います。

      なので、私はこの風潮は形を変えても人間がこの世に存在する限り永久に無くならないと思っています。

      犯罪者になった人間を社会が理解してくれるなどという理想の世界は、少なくとも私たちが生きている間には訪れないと思った方がいいでしょう。なので、大事なのは犯罪者になってしまった本人が、内側から自分の考え方、行動を変えていくことだと思います。

      もっとも、本人が変わることだって一度ネガティブな方向に振れてしまった人間にとっては容易ではないのですが・・・

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